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こんにちは、代表の大西です。
人類にとって神の存在というものは、長きに渡りまた世界的にも信仰の対象となっていることは歴史が証明しております。
「悪さをしたら神様が見ちょうよ」
「そんなことをしたらバチがあたるよ」
誰もが人生の中で一度は言われたことがある文句。実際問題、神というものが物理的に存在するかというとそんな筈ございませんが、この会話は特に神道の信仰者の内々で語られる限りではないことは、おわかりいただけたかと。
この文句をいう人には、仏教やキリスト教など特定の対象(人物)を信仰している方もおられるわけで、この方達であっても、神の存在を妄想し、日々の生き方が是正に転じた方もいらっしゃることでしょう。
この世には無数の宗教が存在しますが困った時の神頼み、〇〇祈願などなど、この神という人類史上最高の信仰に対し疑念を抱く余地がございません。
多少無理矢理な解釈で幅を広げるならば、我々が属する「海運業界」において、空気すらも寄せ付けない「海」という人類にとって最も大敵に立ち向かった先人等は、どれほどまでに神にすがり、生き続けることを望んだものでしょうか。
個人的な解釈につき万人に理解を得られるものではないでしょうが、神道とはいわば健やかに生きることを最重要とした信仰であり、これは死後に安楽を望む宗教とはやはり一線を画していると私は考えております。
神道の考え方において、人間は死後、肉体は亡骸と定義し、日本国は慣例のしきたりにより火葬を行うことで形をなくしますが、魂は御霊(みたま)としその後、人々の記憶の中で生き続けるという記事を見たことがあります。
要するに、神道における「死」とは、その人のことを記憶している人が存在する限り、御霊は生き続けるという解釈になります。その人のことを知る人がだれもいなくなった時、初めて「死」を迎えるのだと。
この定義(もはや定理)を知ったのは実父の葬場祭の日であり強く共感したもので、実父との永遠の別れであったはずのあの日が、今後常に記憶の中で生き続ける、皮肉にもわずかに鬱陶しさすら感じるほど父を身近に感じてしまう日々の始まりとなり、父の死から電光石火の如し加速度で、別れの悲しみから立ち直ったことをよく覚えております。
前置きが長くなりましたが、本日は取引先業者からの紹介で初めてのドックさんに訪問することができました。今後是非お付き合いが開始できるよう、弊社としても案件の成立に向けて尽力していく所存です。
この案件は、船主様とドック様を結びつける、一言で言えばコンサルティングの一種であります。こういった事業をされている会社は一定数いらっしゃいますが、弊社は自社が整備業者でありかつ多くの同業の取引先がありますので、ただ繋いで終わりというものではなく、現場レベルまで踏み込んで船舶の整備まで取り組むという、少し特異な特徴を持っております。
私がどうしてもこの事業を広げたいのには、船舶業界に対しての確固たる目的がございます。
「人手が足りないから受注ができない」
これが当然のようにまかり通る現代、出光佐三さんが聞いていたら頭を上げて歩けません。この現代特有の問題について、人生をかけるといっても過言ではない覚悟で解決に導きたい、このように思ってやみません。
…綺麗事だろ
…何を偉そうに
…結局自分が儲けたいだけだろ
と、現実に多くの批判の声もまわりまわって入ってきていますが、当然の如く承知の上です。私も「今は」綺麗事だと思いますし、創業間もないたまたま上手くいっているだけかもしれない弊社、盤石な経営基盤をつくる為にしっかりと稼がないといけないのも事実。しかしこの理想を実現に導く為には言い続けることが初めの一歩です。
夢を夢のままにせず、その実現に向かって努力することが、生きることだ。
小学生の時に、私の地元である元県議会議員、岡村精二先生から教わったこの一文を胸に、今日も片道600kmの道のりを走ってまいりました。
(車でねw)